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  • 06:22 適性はあるけど興味がない仕事を続けて五年。たまにくる爆発期を迎えかけてる。人に相談しても、辞めた人は辞めろと言い、続けてる人は続けろと言う。ここ五年で自分の内面は信じられないくらい腐ったと思う。まあこの感覚は徹夜明けの睡眠不足もあるのでよくわからんけど。 #
  • 13:27 @akai_kitsune_ ご助言ありがとうございます。とりあえず栄養確保する為今日はゆっくり休もうと思います。 #
  • 19:01 @yshohei たしかに。その為には心の力が必要ですね。気力と言うか。ありがとうございます。 #
  • 19:08 働きすぎて潰れるより、サボって生き残るほうが、本人は元より会社にとってもマシじゃねーかと思う。それはたぶん当たり前のことにしてもいいと思ってるけど、潰れる人があとを立たない状況を見るとそれは当たり前になってはいないんだな、と考えたり。 #
  • 19:11 変化を決断するぐらいならもう死んでしまおう、という思考回路はたぶんそれなり存在してると思う。死ぬのを決断するほうがよっぽどきついとおもうんだがどうか。もしくは自分という檻から逃げたしたいとかそういうあれか。 #
  • 19:13 生きるとか死ぬとかそういう単語を多用するのは、たぶんそういう大げさな単語にしかリアリティを感じられないからなのかなー。ある意味で鈍感になってしまってるのかもしれない。 #
  • 19:16 明文化された宗教によって理性で信念を形成しそれに殉じることによって幸せを感じる。みたいなことは日本ではあんまりないのかな。だから目の前の見えるものに一番影響を受けやすい、感覚重視派が多い? #
  • 19:18 義務感からですか?それとも楽しくて?<@fromdusktildawn: 働きすぎて潰れるって、結局誰も得しないけど、なぜかよく発生するのは、一種の手違いなのかも。俺ですら、ついうっかり働きすぎることがある。 #
  • 20:26 そうなんですよね。生きるの死ぬのを語るのが大げさになったのは、日本でもここ数十年のことなのかなーとか“@oginonatsuko: @raitu 生きるの死ぬのは、おおげさではなく、日常です。” #
  • 20:39 いろんな人と話すと、いろんなことに対する折り合いの付け方に千差万別あって興味深い。特に辛い事に対して。特に社会人以降の人はそう。自分の心が嫌だと叫ぶ事に対してどう向き合うか、という事は人間の個性を本当に色濃く映し出す。 #
  • 21:05 .@kitagawaae 嫌な事を我慢する人もいれば、逃避する人もいるし、昇華する人もいるし。いろんなやり方がありますよね。友人に、普段の仕事が嫌で転職の為に数年がかりで米国公認会計士の資格をとった人がいます。本人曰く、そうしなければ逆に仕事が続けられなかっただろうと言ってました #
  • 21:22 僕とつきあいを持って下さってる人で、普通に企業にずっと勤めてるひとが珍しくなってきた。大企業からベンチャーへ転職したり、企業を退職して主夫になったり、鬱病で仕事を休職したり、起業したり、店を開いたり、フリーランスになったり、脚本家になったり、海外に転職したり。 #
  • 21:25 続)どれも既存の環境に「No」を出して、日本ではレアケースな対処方法をしたと言えると思う。つまり、どうしても心が嫌と思うことに対して向き合った結果、かなり独自性のある答えを出したってこと。そのどれも僕は「さすが○○さんだなー」と思える。 #
  • 21:28 続)僕自身は、自分自身で強い決断をすることが本当に苦手なので、自分の人生に対して強い決断をする人が好きだ、という事なのかも知れない。一方で、そういう人達から「君は我慢強いね」と評価される事もある。隣の芝生は青いだけなのかもしれないが。 #
  • 21:31 キリのいい所まではやっちゃいたい的な RT : 勢いで。 RT: 義務感からですか?それとも楽しくて? <@fromdusktildawn: 働きすぎて潰れるって、結局誰も得しないけど、なぜかよく発生するのは、一種の手違いなのかも。俺ですら、ついうっかり働きすぎることがある。 #
  • 21:38 親を憎むと言うことは、どうしても自分を憎むことと繋がってしまう。だって自分に親の血が流れてる訳だから。自分の親を尊敬できるかどうかってことは、自分の心とどれだけ向かい合えるかと直結する。更に困難なのは、両親が不仲な場合。片方に共感しようとする事がもう片方を憎む事に繋がる。 #
  • 21:41 自分が読みたい漫画を書く、というのはわかりやすい動機なのかもしれないと思った。 #
  • 21:49 道徳的に生きたい、というのと、美しく生きたい、というのは似ていて、つまり自分の信念に従い生きたい、ということだ。つまりは道徳欲を満たしたいという事で、つまり自分で自分を好きになりたいという事だ。「自分は腐ってる」とか言うのは道徳欲が満たされてないと解釈するとわかりやすい。 #
  • 21:55 どんなに善く美しく生きたいと思っていても、そして今自分が本当に悪く醜く生きている、と思っていても、人は長期的には自己肯定せざるを得ない生き物。そして、人は「慣れる」生き物。史上極悪の殺人者ですら、自分の事を優しく善い人間だと思っている。彼は道徳欲が満たされていたのだ。 #
  • 21:58 例えばキリスト教信者は、自分が善い人間かどうかは、聖書に従って生きているかどうか、で判断する。それによって道徳欲を満たす。では日本はどうしてるだろう?日本には「和をもって尊しとなす」という宗教を元に、自分が善いかどうかを他人からの目線で決める。個人差はかなりあるけれど。 #
  • 22:02 ヨーロッパのITが学問的で論理的な傾向があるのは、キリスト教で神様の存在をどうにか論理的に証明するための神学が発達し続けた影響があるんじゃねーかなー。無理があるのにね。あれは信念の宗教で、「神は何故居るのか」という論理ではなく「神は居るのだ」という信念からスタートしてるのになー。 #
  • 22:08 .@oginonatsuko 前ロサンゼルスのダウンタウンを歩いていたとき、いつ襲われるか、銃を突きつけられるかとヒリヒリしてたことを思い出します。ただ街を歩くだけでも、次の瞬間には死んでるかも知れない、ってのが寧ろ一般的で、そういう意味で日本は死から遠くなりすぎた。 #
  • 22:11 日本の平均寿命が世界最高ってことは、つまり日本は世界の中で最も死から遠い国ってことになってる。だから例えば出産時母子どちらかもしくは両方が死ぬことなど本来珍しいことではないのに、そして日本の産婦人科は世界最高峰レベルなのに、産婦人科の医療訴訟は後を絶たない。結果皆なりたがらない。 #
  • 22:16 世界最長寿国である日本は現状、世界で一番死から遠い国であり、結果として生きる死ぬを語ることが「大げさ」と扱われるように。死に対して、そして生に対して傲慢になった、という解釈も可能だろうか。多数の十代にとっての死など「スカイクロラ」の様に永遠の退屈の先の事のようにすら思えるのでは。 #
  • 22:40 自分が読みたい小説を書く。自分が見たい漫画を書く。自分が使いたいプログラムを作る。自分が眺めたい動画を編集する。自分が後で振り返りたいブログを書く。自分が聞きたい音楽を創る。名誉の為でも他人の為でもなく、自分の為に、見たい/聴きたい/読みたい/使いたいものを創る。それが一番楽しい #
  • 22:42 同感です。以前@xev_raさんが「人生の危機を肌身に感じながらチャレンジする事無しに人は絶対に成長しない」とおっしゃっていたことを思い出します。 RT @honkytonkdream: @raitu 「死が遠いと精神年齢の重ね方も遅くなる気がします。」 #
  • 22:49 .@filemakerschool そうなんですよね。だから、例えば絵なんかは、自分の目が肥えれば肥えるほど上達する、なんていいますよね。つまり、目が肥えれば肥えるほど、自分が「見たい」絵のハードルがどんどん上がっていく。結果、自分が見たい絵を描こうとすると、上達せざるを得ない。 #
  • 22:51 自分は基本的には働きたくない。しかし一方で、ばりばり働きたいとも思っている。前者は疲れるから、体力気力能力が足りてないからで、後者はばりばり働いている姿は美しいと考えているからだ。つまり経済的インセンティブと、道徳的インセンティブが自分の中で葛藤している。だから苦しい。 #
  • 22:54 正確には気力は足りてる。体力が問題。やりたい事をやりたい時に気力に体力がついて行けてない。なので、やりたくないことをしようとすると、気力が足りなくなるので、体力の絶対的不足が露呈して、意欲が全くなくなる。体力によって身体を動かしたいという欲求が本来なら仕事能力を底上げするのに。 #
  • 23:41 @hatokichi おお、知らなかった。情報ありがとうございます。 #
  • 23:46 例え自分は仕事干されても全く平然としてるだろう。自分の人生の大目標は「仏陀のように悟ること」=全ての答えを理解すること。んでその目的のための手段として「情報収集をし、学び、色々な経験を積み多様な人と会う」情報収集手段としてより多くのフィード消化を目指してて、仕事してる暇ない。 #
  • 23:50 大抵の人は、仕事を干されるのは嫌だから仕事する、ということはあるのかもしれない。社会的な居場所/価値を無くしたり、することがなくなるのが怖いから、みたいな。で、自分は両方気にしない。何故なら自分の居場所/価値は自分で決めるし、したい事なら常に山ほどあるから。人生目標達成の為に。 #
  • 00:06 自分が仕事やる気ない理由整理。体力の不足による意欲不足。よって、やりたくない事をしようとすると気力まで不足して動きが止まる。加えて「全てを理解する」という人生の大目標のためやりたい事は数限りなくありその為の情報収集に時間をつい割いてしまう。ついでに会社が社会主義的体制。 #
  • 00:17 さっき「自分の心が嫌だと叫ぶ事に対してどう向き合うか、という事は人間の個性を本当に色濃く映し出す。」と書いたけどつまりそれって心理学的に言うと「欲求不満に対する防衛機制は人によってとても多様」って事か→ja.wikipedia.org/wiki/防衛機制 #
  • 00:34 大人になると言うことは、心理学上の防衛機制が十分に機能するようになること、と言い換えることが可能かもな。 #
  • 00:36 仏教は欲求不満を防衛機制「合理化」でなんとかしましょう、という宗教ということでよろしいか。 #
  • 00:38 仏教は欲求不満による不安を防衛機制「合理化」及び防衛機制「分離」による概念と感情の分離で解決しようとした宗教と言うことでよろしいか。 #
  • 00:41 (暴論)キリスト教は、苦難による欲求不満に対し、防衛機制「逃避」で現実から「聖書」という物語、すなわち「どんなに現実が辛くとも神を信じれば死後天国に行ける」という物語へ逃避させる事で心を救済する宗教ということなのかな? #
  • 00:48 学生の頃は、スクールカーストにおける地位を決定づける主な要因として「容姿・運動能力・学力」が挙げられる。どれが優先されるかは学校による。例えば進学校では学力が地位決めに優先して考慮されるし、容姿は共学のほうが男子校/女子校よりも地位決めに優先して考慮されるだろう。 #
  • 00:50 社会人になると、一部の職を除いて容姿が仕事の上で重要視されることはあまりないので、学生の頃の自らの容姿へのコンプレックスは次第に解消される傾向がある。ただ、15歳ぐらいまでについたコンプレックスはそうそう解消するモノでもないので、それに対する防衛規制は各々多彩な感じ。 #
  • 01:08 @sync_sync 「容姿コンプレックスがある」と自己認識出来てれば、防衛機制「分離」で比較的欲求不満が軽減できるってのはあります。ソースは俺。 #
  • 01:11 手相を見続けて思うのは、やはり生命線は非常に重要なのではないかと言うこと。社会的に活躍している人達は生命線が非常にしっかりしている。二重生命線とか。心身にエネルギーが満ちあふれてる人は生命線がしっかりする。知能も大事だけどやはりなにより心身のエネルギー総量は何より大事。 #
  • 01:14 @monjudoh まあ日本は比較的カースト緩いっすしね。何が言いたいかというと、学生の頃に容姿コンプレックスを抱きやすい傾向はあるのはなんでかなっていう。それを説明したいなら、カーストというより、学生的価値観というほうがいいかも。 #
  • 02:07 1近年の感情に対し懐疑的/抑圧的な風潮「自分の恋心、錯覚じゃないの?」2恋心を抱いて失敗して傷つきたくない防衛機制「全能感の保守」3そもそも大多数は行動に至る程人に惚れない「自由恋愛は近年の流行」→ ow.ly/23DKB #
  • 02:13 人の個性とは、欲求不満に対する防衛機制の現れ方のことなんではないかとすら思う。 #
  • 02:27 @monjudoh まあたしかに進学校とかだと容姿より学力コンプとかになるケースもあるでしょうし、そもそもそういう序列付け的雰囲気のあまりない学校もたくさんあるんでしょうね… #
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